くやしいと思ったその後に

 「仕事で『くやしい』と思ったことの無い人は恐ろしいほど仕事が順調か、目標が低い人だ」みたいなことをつぶやきで見ました。まったくその通りだと思います。
 ただ「くやしい」と思うだけでは成長しません。その後どうするか、ということが大事だと私は思うのです。


 私の経験からですが、「くやしい」思いをして、どうしたらその思いをせずに済むかを考えて仕事に取り組めば必然的にいい仕事ができると思います。他人にごちゃごちゃ言われていやいや勉強するよりも、自分から能動的に勉強しようとした方が身につく筈です。


 くやしい思いをして、「時間が過ぎるのをただ我慢して待つ」のでは成長しません。メンバーやお客さんに恵まれなかった、運が悪かったと思うのは簡単ですが、自分ではベストを尽くしたのかを振り返ることも必要でしょう。
 プロの開発者を自負するなら、言われたことだけでなく、プロジェクトや自分に足りないものは何かを常に把握してそれを補わなければなりません。「流行っているから」も勉強する上でひとつの動機になり得ますが、だからといって対価をもらう価値があるかというと別問題です*1


 ですが、会社間の政治的な事柄や契約的な事柄に対しては、個人の頑張りではどうしようもないことの方が多いでしょう。私も経験がありますが、SES契約だから自分のやりたいようにできないこともたくさんあります。その会社の社内標準フレームワークをそのプロジェクトでは絶対にFitしないことがわかっているのに使わざるを得ず、無理やり使ったことでスケジュールが大幅遅延したことや、理解できない設計書を与えられ、質問は受け付けられず解読しながら実装したら仕様バグを実装バグとされて「行間読め」と怒られたこと等。
 ただ、SES契約には成果物責任はないので言い方は悪いですが「時間が過ぎればサヨウナラ」が通じてしまうことが多いのです。やっぱり「点」の作業にならざるを得ないことが多い。SES契約は与えられる責任が小さくなることもありますが、会社にとってのリスクは少なくなります。成果物責任が発生する元請け側の契約では、時間が過ぎても何の解決にもなりませんから。元請け側はそれなりのリスクを抱えているのです*2


 仕事をする上でそんなジレンマを抱えている人も多いことでしょう。ただ、「どうせ勉強しても意味が無い」と思い始めたらそこで成長は止まってしまいます。いつか自分のやりたいようにできるプロジェクトが振ってくるかもしれませんし、転職することで自分のやりたいことが実現できるかもしれません*3。自分がやりたいことを思い、それが実現した時にうまく立ち回れるように今不足していることを勉強しておくことも良いかもしれません。システム開発に携わる人は「俺、ここまで知ってるから勉強しなくて大丈夫」ということにはならないと思います。都度勉強していかなければ仕事ができなくなっていく日がもう来ていると思います。昔うまくいったことがこれからもうまくいくとは限りませんし。
 さらに、今の境遇が自分にとって「くやしい」と思うなら、その状況に置いている会社に不平を言うよりも、自分が次も同じようにならないためにはどうすれば良いか考えて行動した方が良いと思うけどな。今は変わらないかもしれないけど、きっと次に活きるはず。感覚がマヒしちゃって「くやしい」と思わなくなるのが一番やばい。

*1:そっちの方が勉強する甲斐もあるからモチベーション上がるのは理解できます

*2:といってもそのシワ寄せはSES契約の人たちに来ることが多いんでしょうけどね

*3:若いころは良いですが、やりすぎには注意です。年を取ると・・・ねぇ